観察力と知覚力
観察力を磨くことと知覚力を磨くことは少し違います。
観察について。「見ること」と「観察」は違うと、神田房枝もエイミー・ハーマンも述べています。その喩えとして、シャーロック・ホームズが登場します。
「君は見てはいるけれど、観察していないね・・云々」
このシーンを捉えて、
神田は、観察するとは、「多様な解釈を引き出せるような眼のつけどころを観ること」が観察の神髄だとしています。
ハーマンは、観察とは、「ただ見るのではなく、意識的に、注意深く、そして思慮深く見ること」だとしています。
最近、もう一例見つけました。『絵を見る技術』(秋田麻早子2019)では、ホームズは「無目的に見ていません。常に問いを立てながら見ていて、その問いがスキームの役割を果たしています」と説明しています。
この3人が指摘する要素、「多様な解釈」「思慮深く」「スキーム」が、観察と知覚をつなぎます。「スキーム」を別の言葉で言えば「文脈」です。観察対象を即物的に見て終わるのではなく、文脈を考える過程で知覚が磨かれます。「多様な解釈」は、文脈を変化させることから生まれます。
この多様な解釈を吟味する過程(作業)によって、知覚が磨かれます。
次の作品は、ジョン・シングルトン・コプリーの作品です。ハーマンと秋田が本で紹介しています。ハーバード大学のロバーツ教授が実際に3時間の観察をやってみたという作品です。
「眼のつけどころ」となるのはどの部分でしょうか?そして、あなたは、どんな物語(作者のメッセージ)を想像しますか?
John Singleton Copley, Public domain, via Wikimedia Commons
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